「新しい歌を歌おう」 02.01.27 詩96:1〜13、黙示録21:1〜4
御言葉は、「新しい歌を主に向かって歌え」と命じます。この「新しさ」とはどんなものでしょうか。
この「新しさ」は、今新しくてもすぐに古くなってしまうような「新しさ」ではありません。
究極の新しさです。究極の新しさとは、最後の最後に出てくるものであり、一番最後のことです。
ですから「新しい歌」とは、終わりの歌であり、終末を見据えて歌う歌のことです。
黙示禄で「新しい天と新しい地」といわれる「新しさ」なのです。
終末を見据えて歌うことができるのは、時を支配しておられる主なる神を知っているからです。
天を創られ(5節)、その世界を支配し固く据えておられる(10節)神は、終わりの裁きのために
来られる神です。初めと終わりをしっかり押さえておられ、もちろんその間も支配しておられる
神でいらっしゃいます。その神が最後の新しさを歌えと命じておられるのは、私たちに最後の
新しさを用意してくださるからにほかなりません。私たちは、途中で切れたり、終わってしまうような
今を過ごしているのではありません。最後の新しさに続く今であるゆえに、喜び歌うのです。
この枚岡教会の玄関のステンドグラスのように、はじめと終わりへと続く今であり、しかも主イエスに
抱きかかえられるようにして今を過ごしているのが私たちです。
最後の時は裁きがなされる時です。罪を抱えている私たちには、それは恐ろしいことです。
しかし、恐れさせるために最後の新しさを見据えよといわれるのではありません。その時は、
物事がはっきりさせられる時です。自分の生きた意味、悩みの意味がはっきりさせられます。
また「裁き」という言葉には「治める」という意味もあります。投げ出さずに治めて下さるというのです。
それらは楽しみなことです。しかも私たちは、主イエスの十字架を知っています。
罪、情けなさを担い切ってくださる主イエスを信じています。
それゆえ、裁きを恐れてばかりいる必要はありません。
私たちは、終わりの時への期待と希望を持っています。